OSHO禅タロット 50.祝祭

  • 2013.12.12 Thursday
  • 14:10
50. 祝祭

Zen Tarot Card
祝祭

生とは祝うひととき、楽しむひとときだ。それを楽しみ に、祝祭にするがいい。そうすれば、あなたは寺院に入る だろう。寺院はしかつめらしい顔をした人たちのためにあ るのではない。彼らのためにあったことなどこれまで一度 もない。生をよく見てごらん——どこかに悲しみがあるか ね? 憂欝そうな樹を一度でも見かけたことがあるかね?
苦悩にさいなまれている鳥を見たことがあるかね? ノイ ローゼにかかっている動物を見たことがあるかね? い や、生はそんなものではない、それはありえない。人間だ けがどこかでおかしくなってしまった。人間は自分のこと をひじょうに賢い、とても利口だと思うから、どこかでお かしくなったのだ。
あなたの利口さ、それがあなたの病気だ。賢くなりすぎ てはいけない。止まることをつねに覚えておくがいい。極 端に走ってはいけない。少しの愚かさと、少しの智慧は いい。そして、その正しい組み合わせが、あなたをブッダ にする……。

Osho I Celebrate Myself Chapter 4

解説:

風と雨のなかで踊っているこの三人の女性は、祝祭(セレブレーション) は外側の環境にはいっさい左右されないということを私たちに思い出さ せてくれます。特別な祝日や公式な行事、あるいは雲のないよく 晴れた日を待つ必要はありません。ほんとうの祝祭は、まず内側 の深いところで体験された喜びから湧き起こり、歌と踊りと笑い の洪水となって、そしてもちろん、感謝の涙としても溢れだしま す。このカードを選んだときは、生において祝う機会と、そ れをほかの人たちに感化して広めてゆく機会がますます多く訪 れ、その機会に対してあなたはどんどん開かれていくことが示さ れています。カレンダーを前にしていつパーティーを開こうかな どと気にすることはありません。髪をおろし、靴を脱ぎ、まさに 今、水たまりで跳びはねましょう。パーティーはあらゆる瞬間に、 あなたのまわり中で起こっています!

OSHO禅タロットより 51.内側へ向かう

  • 2013.12.09 Monday
  • 21:36
51. 内側へ向かう
Zen Tarot Card
内側へ向かう

内側に向きを変えることは、向きを変えることではまっ たくない。内側に入って行くことは、行くことではまった くない。内側に向きを変えるということは、あなたがあれ これと欲望を追いかけてきて、追いかけるたびに何度も何 度も欲求不満にみまわれつづけてきたことを意味し ているだけだ。どの欲望も惨めさをもたらすということ、 欲望を通しては満たされることはないということだ。あな たはけっしてどこにも行き着かないということ、満足する ことはありえないということだ。この、欲望を追いかけて もどこにも行き着かないという真理を見て、あなたは止ま る。止まろうと努力するのではない。止まろうと努力した ら、またしてもそれは追いかけることだ——微妙な意味で。 あなたはいまだに欲しがっている——あなたが欲しがって いるのは、今度は無欲かもしれない。 内に入るために努力しているのであれば、あなたは依然 として外に向かっている。努力はすべて、あなたを外に、 外側に連れ出すことしかできない。 旅はすべて外に向かう旅だ。内に向かう旅はない。ど うやって内側に向かって旅ができるかね? あなたはすで にそこにいるのだ。行こうとすることなど問題外だ。行こ うとすることが止まったら、旅をすることも消える。欲し がることであなたの心がもはや曇っていないとき、あなた は内にある。「内側に向かう」と言われているのはこのこ とだ。だが、それは向きを変えることではまったくない。 たんに外に出て行かないことだ。

Osho This Very Body The Buddha Chapter 9

解説:

このイメージの女性は、かすかな笑みを浮かべています。じつ は、彼女は心(マインド)のたわむれをただ見守っているのです——。それ らを判断せずに、止めようとせずに、同化せずに、まるで通りの往来か池の水面のさざ波でもあるかのように、ただ見守っています。それに、心のたわむれはあなたの気を引き、ゲームへ誘い込もうとして、跳んだりはねたり、あちこちに捻れたりして、ちょっと可笑(おか)しくもあります。心(マイド)から離れているコツをつかむのは、最大の祝福のひとつです。瞑想とは、ほんとうはそういうことなのです——真言(マントラ)を唱えたり、誓いの言葉を繰り返したりするのではなく、まるで心は誰かほかの人のものであるかの ように、ただそれを見守ることです。今、あなたには、この距離をとって、ドラマに巻き込まれることなくショーを見守る準備が整っています。そうできるときはいつでも、「内側に向かう」というこの簡素な自由をじっくりと味わえば、あなたの内側で瞑想のコツが育ち、深まっていきます。





 

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OSHO禅タロット 親しさ

  • 2013.12.04 Wednesday
  • 13:25
49. 親しさ

Zen Tarot Card
親しさ

まず瞑想するがいい、至福に満ちてあるがいい。そうな ったら、多くの愛がおのずと起こる。そのときこそ、ほか の人たちと一緒にいることは素晴らしく、独りでいること もまた素晴らしい。そうなったら、それは単純なことでも ある。あなたはほかの人たちに依存しないし、ほかの人た ちを自分に依存させることもしない。そうなったら、それ はつねに友情、親しさだ。それはけっして関係にはならな い。それはつねに、かかわりをもつということだ。
あなたはかかわる、が、結婚はつくりださない。結婚は 恐怖から生まれる。かかわりをもつことは、愛から生まれ る。
あなたはかかわる——ものごとが素晴らしくいっている あいだは、あなたは分かち合う。そして、互いの道がこの 十字路でわかれるために出発するときが来たとわかった ら、相手がこれまで自分にしてくれたすべてのことに、相 手と分かち合ってきたすべての喜びと、すべての楽しさと、 すべての素晴らしい瞬間に大いに感謝し、さようならを言 うがいい。惨めになることもなく、痛みもなく、あなたが たはただ別れる。

Osho The White Lotus Chapter 10

解説:

花を咲かせているこの二本の樹の枝は互いに絡み合い、地上で は落ちた花びらが混じり合って、美しい色をなしています。それ は、まるで天と地が愛で橋渡しされたかのようです。しかし、二 本の樹はそれぞれ別個に立ち、地と独自のつながりを保ったまま、 土に根を下ろしています。こうして彼らは、成熟した、互いに楽 で自然な、ほんとうの友人としてのエッセンスを表わしているの です。そのつながりには緊迫感も、困窮感も、相手をなにか別の ものに変えたいという欲望もありません。このカードは、親 しさというこの質に入っていく準備が整っていることを示してい ます。進んでいくうちに、あなたはほかの人たちがかかわってい るあらゆる種類のドラマやロマンスには、もはや自分は関心がな いことに気づくでしょう。それはなにかを失ったということでは ありません。体験の豊かさから生じるもっと高い、もっと愛に満 ちた質が誕生したということなのです。それは、ほんとうに無条 件で、期待や要求を伴わない愛の誕生です。
 

OSHO禅タロットより 冒険

  • 2013.11.27 Wednesday
  • 08:32
38 冒険

Zen Tarot Card
冒険

禅は、こう言っている——真理は権威とはいっさい関 係ない、真理は伝統とはいっさい関係ない、真理は過去 とはいっさい関係ない——真理とは革新的な、個人的な 悟りだ、と。あなたはそれに到達しなければならない。
知識は確実なものだ。個人的な<知>の探求は、危険 をともなうひじょうに、ひじょうに不確かなものだ。それ を保証することは誰にもできない。もし、保証できること がなにかあるのかと聞かれたら、私はなにひとつ保証でき ないと言うしかない。私には危険しか保証できない。それ だけは確かだ。道に迷ってしまい、けっしてゴールには行 き着かないかもしれないという、そのあらゆる可能性をと もなった長い冒険しか保証できない。だが、ひとつのこと は確かだ。探求そのものが、あなたの成長を助けてくれる。
私には、成長しか保証できない。そこには危険があるだろう、 犠牲があるだろう。あなたは毎日、未知なるもののなかへ と、地図に描かれていないもののなかへと進んでいくこと になる。辿る地図もなく、従うガイドもいない。その通り だ、数限りない危険があり、あなたは道に迷い、自分を見 失ってしまうこともありうる。だが、人はそうやって成長 するしかないのだ。不確実だということが、成長するため の唯一の道だ。危険に直面することが、成長するための唯 一の道だ。未知なるものの挑戦を受け入れることが、成長 するための唯一の道なのだ。

Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 7

解説:

ほんとうに冒険心に満ちあふれていると、私たちはまさにこの 子どものように進んでいきます。信頼に満ち、森の暗闇を抜けて 虹の光のなかへと、驚きの感覚に引かれて一歩一歩、未知なるも ののなかへと入って行きます。ほんとうの冒険は計画や地図や プログラムや組織とはまったく関係ありません。「虹のペイジ」は、 家でもオフィスでも、大自然のなかでも都市のなかでも、創造的 なプロジェクトでもほかの人たちとの関係でも、どこであろうと も私たちのところに訪れることのできる、ある質を表わしています。 私たちが子どものもつ信頼のスピリットで、無垢なまま、心を開いて、 感受性豊かに、新しい、そして未知なるものへと入っていくとき はいつも、生のもっとも小さなことですら最大の冒険になりえま す。

〜〜〜ここからは松本が書いています〜〜〜
知識は確実で、個人的な知の探求は不確かなもの・・・。どうすればいいのでしょう?(笑)何事も本当には分かる事などできず、その中のいくつかの面を見るに過ぎないのでしょうけど、そのいくつかの可能性をできるだけたくさん見られる視野を持っていたいものです。

OSHO禅タロットより ハーモニー

  • 2013.11.21 Thursday
  • 21:54

Zen Tarot Card
ハーモニー

自分のハートに耳を傾けなさい。どんな危険が伴おう とも、自分のハートに従って動くがいい。
「完璧な単純さの条件は、あらゆるものより高くつくこ とはあっても、安くつくことはない……」
単純であることはきわめてむずかしい。と いうのも、単純であるためには、あなたの 持っているあらゆるものが犠牲になるから だ。単純であるためには、あなたはすべて を失わなければならない。人びとが複雑で あることを選び、どうしたら単純になれる のかを忘れてしまったのはそのためだ。
だが、単純なハートだけが神と共に手を取り合って 打ち震える。単純なハートだけが神と共に深いハーモニー を保って歌う。そのポイントに行き着くために、あ なたは自分のハート、自分自身の胸の高鳴り、 自分自身のビートを見いださなければならな い。

Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 3

解説:

瞑想してハートのなかで安らいでいるという体験は、つかんだ り、強いたりできるものではありません。それは、私たちが私た ち自身の内なる沈黙とさらにさらに調和して成長していくにつれ て、自然とやって来ます。このカードの人物は、この体験の甘美 さと繊細さを反映しています。ハートから現われ、第三の眼に向 けてアーチを描いているドルフィンたちは、私たちがハートとつ ながりを持ち、そこから世界へと入って行くことができるときに 訪れる、遊び心と知性を反映しています。今は自分をもっと 柔らかくして、もっと受け容れるようにしましょう。というのも、 言葉では言い表わすことのできない喜びが、すぐそこであなたを待 っているからです。それを、あなた以外の誰かがあなたに示して 見せることはできませんし、あなたがそれを見いだしても、ほか の人に言い表わす言葉は見つからないでしょう。しかし、それは そこに、あなたのハートの奥深くにあります。熟し、発見される ばかりになって——。

〜〜ここからは松本が書いています〜〜
ハートが何をしたいのかを聴いて、それに従うと、結果ワクワクしてくる。でも、つい、ハートを使わないで、色褪せた単純な反応のくり返しを送っている時ってある。そんな時はハートに聴いてみるといい。「何を感じてる?」「どうしたい?」。こんなにも単純な事を、大人になると不思議としないのだ。深呼吸して、胸を開いて、胸の辺りに意識を持って行って、ハートのスペースを感じる。頭にあった意識が胸に降りて、頭の辺りがフッと緩むのが分かるだろうか?ハートにくつろいでゆったりリラックスする感じ。ハートに降りて、自分自身と出会い溶け合う安らぎ。どこへ連れて行ってくれるのか分からないけど、ハートについて行きたい。ゴールのない楽しみの連続が、想像もつかないところへ運んでくれるだろう。頭が考える事なんか完全に超えている。

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OSHO禅タロットより 60、アイスーオレーション

  • 2013.11.05 Tuesday
  • 08:22
60. アイス‐オレーション
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Zen Tarot Card
アイス‐オレーション

私たちが惨めなのは、あまりにも自己に入り込みすぎて いるからだ。あまりにも自己に入り込みすぎていると私が 言うとき、それはどういう意味だろう? そして、私たち があまりにも自己に入り込みすぎていると、正確にはなに が起こるのだろう? あなたがたは存在のなかにいること ができるか、あるいは自己のなかにいることができるか、 そのどちらかだ——同時に両方はありえない。自己のな かにいるということは、離れている、わかれているという ことだ。自己のなかにいることは、島になるということだ。
自己のなかにいることは、自分のまわりに境界線を引く ということだ。自己のなかにいることは、「これは私」と 「あれは私ではない」を区別することだ。「私」と「私では ない」の定義、境界、それが自己とはなにかだ——。自 己は孤立(アイソレート) する。そして、それはあなたを凍りつかせる——
あなたはもはや流れていない。もし流れていたら、自己は 存在することができない。人びとがほとんど角氷(アイスキュ−ブ) のようになっているのはそのためだ。彼らには暖かみがまるでな い。愛がまったくない——愛は暖かみであり、彼らは愛 を怖れている。もし暖かみが訪れたら、彼らは融けだし、 境界は消えてしまうだろう。愛のなかで境界は消える。
喜びのなかでも境界は消える。喜びは冷たくはないからだ。

Osho Zen: The Path of Paradox, Volume 1 Chapter 5

解説:

私たちの社会では、とくに男性の場合、泣いてはいけない、痛 めつけられても凛々(りり)しい顔をして、痛みを顔に出してはいけない と教えられてきました。しかし、女性でも、この罠に引っかかっ てしまうことがあります。私たちはみな、二度と傷つけられずに 生き延びるにはフィーリングと感情を押し殺すしかない、と感じ たことも一度か二度はあるはずです。痛みがとくに深ければ、私 たちは自分にさえもその痛みを隠そうとするでしょう。そのため に私たちは凍りつき、硬くなってしまうこともあるのです。氷に 小さな割れ目がひとつできただけでも、その傷が再び解き放たれ、 私たちのなかを巡りはじめる——そのことを私たちは深いところ で知っているからです。この人物の顔に浮かぶ虹色の涙に、 この「アイス‐オレーションi c e - o l a t i o n (凍りつき、孤立すること)」を打破する鍵があります。涙が、涙だけが、氷を溶かす力 をもっています。泣いていいのです。そして、自分の涙を恥ずか しがる理由はなにもありません。泣くことは私たちが痛みを手放 すのを助け、私たちが自分に優しくなるようにさせ、最後には自 分を癒すのを助けてくれます。

〜〜〜ここからは松本が書いています〜〜〜
泣く事が悪い事のように植え付けられている世の中で、子供の頃本当に苦しんだ。すぐに泣けてしまい、泣く事をからかわれる。。。悲しいのにさらに追い打ちをかけられる・・・。「泣く」という純粋な反応が、見る側に勝手に意味付けされてしまい、多くの人の中でそれは「悪い事」になってしまっている。辛くても泣けない時、泣ける映画を見たりする事でも良いから泣くと良い。横隔膜が震えるのを許し、体中で泣くと良い。体にたまった緊張が泣く事でずいぶんと解放され、切り離して凍り付いていた自分の中が温かく流れ始め、心の柔らかい部分と一緒になれる。

OSHO禅タロット 75、普通である事

  • 2013.10.17 Thursday
  • 08:31
75. 普通であること
もう一度引く

 

Zen Tarot Card
普通であること

 

ときとして、なにかの稀な瞬間に、あなたがひとつにな るということが起こる。海を、その途方もない荒々しさを 見守ってごらん——すると突然、あなたは自分が分裂し ていることを、自分の精神分裂症を忘れる。あなたはリ ラックスする。あるいは、ヒマラヤの山中を進みながら、 ヒマラヤの峰々の処女雪を見ていると、突然、涼しさが あなたのまわりを取り巻き、ごまかす必要がなくなる。ご まかす相手の人間がいないからだ。あなたはひとつにまと まる。あるいは、美しい音楽を聞いていると、あなたはひ とつにまとまる。いつであれ、どのような状況であれ、あ なたがひとつになると、平和、幸福、至福があなたを取 り巻く、あなたのなかから湧き起こる。あなたは満たされ ているのを感じる。
こうした瞬間を待つ必要はない——こうした瞬間があ なたの自然な生になりうるのだ。こうした特別な瞬間が普 通の瞬間になりうる——それが禅の努力のすべてだ。あ なたはごく普通の生で、特別な生を生きることができる。
木を切る、薪を割る、井戸から水を汲む、あなたは素晴 らしくくつろいでいる——というのも、問題はすべて、あ なたが自分の行ないを楽しみながら、そこに歓びを感 じながら、全面的にやっているかどうかにかかっているか らだ。

Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 3

 

解説:

自然のなかを歩くこの人物は、生の単純な普通のものごとのな かに美を見いだすことができることを私たちに示しています。私 たちは、自分たちが生きているこの美しい世界をあまりにも簡単 に当然のことと受けとめてしまいます。家を掃除する、庭仕事を する、食事をつくる——もっとも世俗的な作業であっても、自分 が全面的にかかわり、愛をもって、認められたり報酬を得たりす ることなど考えずに、ただそのためにだけ行なうと、それは神聖 な質を帯びてきます。出会う状況に対する、この簡潔で自然 でごく普通のアプローチのほうが、立派で賢くあろう、さもなけ れば特別であろうとする自分の側でのどんな試みよりもはるかに よい結果をもたらす、そういう時にあなたはいま臨んでいます。 新奇なものを発明して評判を取ったり、ユニークなスター性で友 人や仲間を感嘆させるといったことは、すべて忘れましょう。あ なたがいま差し出さなければならない特別な贈りものは、ものご とを簡単に、単純に、一度に一歩ずつ受けとめることで、もっと もよい形で贈られます。

〜〜〜ここからは松本が書いています〜〜〜
昨日、歩いている時に、ふと空を見上げた。鳥が群れをなして飛んでいるのを見たほんの一瞬、何ものでもない自分がただ空と鳥を見ているという感覚になった。そのとき喜びというような感覚になった。ここまで自分を手放す瞬間は日常にはそう多くはないので印象に残っている。なにかに夢中になって我を忘れるというのではなく、「私」というものも、夢中になるものも無い感じ。カードの言う普通である事と少し違うかもしれないけど、頭の中にある「私」というウエートを小さくしてゆくことで、雑音が減り本質に近づくのかと思う。

OSHO禅タロット 4、参加

  • 2013.10.09 Wednesday
  • 08:40

4、参加

Zen Tarot Card
参加

あなたは、夜が去っていくのを見たことがあるかね? 毎 日起こっているものごとにさえ気づく人びとは、ごくわず かしかいない。あなたは夕闇がやって来るのを見たことが あるかね? 真夜中とその歌を? 日の出とその美しさ を? 私たちはほとんど目が見えない人たちのように振る まっている。こんなに美しい世界にいながら、私たちは自 分たちの惨めさという小さな池で生きている。その 池にはなじみがある。だから、誰かがあなたを 引き上げたいと思っても、あなたは逆らう。あ なたは自分の惨めさから、自分の苦しみから 引き出されたくないのだ。さもなければ、まわりじゅうに ひじょうに多くの喜びがある。あなたはただそれに気づき、 観客ではなく参加者になればいいだけだ。
哲学は空論、禅は参加することだ。夜が去っていくの に参加するがいい、夕闇がやって来るのに参加するがいい、 星たちに参加し、雲たちに参加するがいい。参加するこ とをあなたのライフスタイルにすれば、全存在が素 晴らしい喜び、素晴らしいエクスタシーになる。
より良い宇宙など、あなたは夢にも思っていな かったはずだ。

Osho Zen: The Miracle Chapter 2

解説:

このマンダラの人物はそれぞれ左の手のひらを受け取る姿勢で 上に向け、右の手のひらを与える姿勢で下に向けています。この サークル全体が途方もないエネルギー・フィールドを創りだし、 二重の"ドルジェ"、稲妻を表わすチベットのシンボルの形を取っ ています。マンダラは、ブッダのまわりに形づくられるエネルギ ー・フィールドにあるような質をもっています。そのエネルギ ー・フィールドでは、統合され活気に満ちた全体を創造するため に、サークルの一端を担っている個人全員が、それぞれ独自な貢 献をしています。それは、花の各部分を合わせたよりも花全体の ほうがさらに美しいと同時に、個々の花びらの美しさをも強めて いる、そういう花に似ています。ほかの人たちといっしょに参 加し、個人それぞれが独りで成し遂げられるものよりもっと大き く、もっと美しいなにかを創造することに貢献する機会が、今あ なたに訪れています。あなたが参加すれば、それはあなた自身を はぐくむだけでなく、全体に対して貴重ななにかを貢献すること にもなるのです。

〜〜〜ここからは松本が書いています〜〜〜
 夕暮れから夜になる時、切なくなる。さよならに似て何かが終わってしまうようで。
それでも夜になれば、その真っ暗な中に計り知れない認識できない膨大な可能性が潜んでいる感じがしてワクワクする。
外に出て、風、木、花、雲、水、火、光、・・・それらがただあり、自然にしているだけなのに、風が髪を少しなでたり、木の葉がゆれたりすることが自分に絶妙なタイミングで起こることがある。困難から顔を上げ美しいものを見ていくには、少しの意図が必要かもしれない。自分で自分を救う決意と、宇宙への信頼と。

OSHO禅タロット 73、妥協

  • 2013.10.08 Tuesday
  • 07:45
73. 妥協


Zen Tarot Card
妥協

抜け目なく器用であってはいけない。さもなければ、あなたは同じままだ。変わりはしない。愛の道における中途 半端なテクニックと瞑想の道における中途半端なテクニ ックは、あなたのなかに多くの混乱を引き起こす。それら は助けにならない……。
だが、助けを求めることはエゴに反する。だから、あな たは妥協しようとする。この妥協はもっと危険なことにな る。あなたはさらに混乱することになる。
妥協の結果、さらなる混乱が生じるからだ。だから、なぜ自分 は妥協を強く望んでいるのか、 理解しようとするがいい。遅 かれ早かれ、妥協は助けに ならないことが理解できるようになる。それに、妥協はど ちらの方向にも行こうとしないやり方なのかもしれない し、自分の混乱を抑圧しているだけなのかもしれない。混 乱が頭をもたげてくることになる。なにひとつ抑圧しては いけない。自分の状況をはっきり認識しているがいい。そ して、もし混乱しているのだったら、自分は混乱している のだと覚えておくことだ。これが、あなたに関してまず第 一にはっきりしていることだ――つまり、 あなたは混乱しているということだ。
あなたは旅を始めたのだ。

Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 4 

解説:

昔、日本の朝廷では、従僕は些細な罪を犯した罪人で去勢さ れている者のなかから選ばれることがよくありました。彼らは朝 廷の動きを知りつくしていたために、しばしば政治的、社会的陰 謀の中心にあって、影の権力を大いにふるっていたのです。 このカードのふたりの人物は、私たちが自分自身の真実を妥協さ せてしまったときに入り込んでしまう、あさはかな茶番劇のよう な状況を思い出させてくれます。歩み寄り、自分たちとは違う見 地を理解し、反対勢力との調和を目指して働くことと、「屈服し」、 自分の真実に背くこととは、まったく別です。それを深く見抜い たら、私たちはなにかを――権力であれ、他者からの承認であれ ――なにかを得ようとしているのだということがよくわかってき ます。誘惑されそうになったら、気をつけましょう。この手の妥 協で得られるものは、後味が苦いのが常です。


〜〜〜ここからは松本が書いています〜〜〜

器用に生きている人を羨ましく思う事はよくあるし、それができている事が優秀だという社会通念があるように思う。この事は小さな事から大きな事まである。自分の事より、他人を優先させるといった小さな事から、心を殺すようなもがき苦しみを飲んで「はい」といわなければならない大きな事まで。この心を殺しもがき苦しむという感じを感じないように麻痺させることが身に付いている人々がいる。麻痺させずになど生きられない様な状況を生きているのだ。その苦しみに飛び込む事は非常に勇気がいる。だって感じないように抑圧している事にわざわざ飛び込むなんて誰がしたいと思うものか。でもいづれそんなときが来る。魂は決して真実から離れないから。どんな道を通っても、いつか必ず自分の中に飛び込む事になる。

OSHO禅タロット 16、稲妻

  • 2013.09.26 Thursday
  • 08:23
16. 稲妻

Zen Tarot Card
稲妻

瞑想では、ゆっくり、ゆっくりとすることを、弟子がなにか問いをたずねている状況のなかでの、マスターの予期せぬ素晴らしい一喝――マスターは跳びかかって一喝する、あるいは弟子を打つ、あるいは扉から放り出す、あるいは弟子の上に飛び乗る……。こうした技法はまったく知られていなかった。それはまぎれもなく馬祖(ばそ) のひじょう に創造性豊かな天賦の才によるもので、彼は多くの人び とに光明を得させた。
ときには、それはとても愉快なものに見える。彼は、な にに瞑想したらいいのかたずねるために来ていた人を二階の窓から放り出した。さらに馬祖は、放り出しただけでな く、その後を追って飛び降り、その人の上に落ち、その胸の上に坐り込んで、「分かったか?!」と言ったのだ。 かわいそうなその人は「はい」と言った――「いいえ」 などと言おうものなら、殴られるかなにかされるに違いな いからだ。もう充分だ――からだの骨が折れているという のに、馬祖は胸の上に腰をおろして、「わかったか?!」 と言っているのだ。
が、事実、その人はわかっていた。あまりにも突然で、 青天の霹靂(へきれき) だったからだ――そんなことは考えてもいなかった。

Osho Isan: No Footprints in the Blue Sky Chapter 4

解説:

このカードは、燃やされ、壊され、粉々に吹き飛ばされた塔を 示しています。塔から男性と女性が飛び降りていますが、彼らは そうしたいから飛び降りているのではなく、ほかにどうしようも ないからです。その背後の透明な、瞑想している人物は、醒めて見ている意識を表わしています。あなたはまさに今、まるで大地が足元で揺れ動いているかのように、とても動揺しているに違 いありません。安全というあなたの感覚が挑戦を受け、しがみつ けるものならなんにでもしがみつこうという気になるのも無理は ありません。しかし、この内なる地震は必要で、また、とても重要です――。もしそれを許したら、あなたは残骸から立ち現 われ、もっと強くなり、もっと新しい体験をすることができるよ うになります。大火の後、大地は再び豊かになり、嵐の後、空気 は澄みわたります。その破壊を、まるで誰か別の人に起こってい ることでもあるかのように、超然として見守ろうとしてみましょ う。それを途中まで出迎え、そのプロセスに「イエス」と言いま しょう。

〜〜〜ここからは松本が書いています〜〜〜

この文章を読んで、面白く痛快な気分になる。

外から見ればそんなふうだ。

でも、塔から飛び降りた男女、飛び降りる前は死ぬ程の苦しみに身をよじり、もがいたに違いない。

そして飛び降りるしか無かった!!

その瞬間の身軽さよ!!!

なにごとも“極まれば転ずる”というのはこういう事か。

(師匠の一喝、晴天の霹靂は飛び下ろさせる一撃か!)

自ら手放すことができる物はある程度自分にとって受け入れ体勢ができているものだろうけど、そうでないもっとも重要と思っている事柄については、全く、手放すという事にものすごい恐れ、執着がくっついていて、手放すなんて事選択肢には全くない。

いくら苦しくても持っていないよりは良いと思っているのだ。

大なり小なりあるけれど、きっと目覚めるまで繰り返すのだろう。。。





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