再会

  • 2014.02.08 Saturday
  • 08:34
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おはようございます。

降りましたね〜、雪。

ここ2、3日は本当に寒かったです。


昨日はBIPS(ボディインテグラルサイコセラピースクール)の仲間に会いに行きました。

私は休学中ですが、岐阜でのスクール開催でしたので、各地にいるみんなに再会できる良いチャンスでした。

約1年ぶりに行きましたが、全くそこにいても自然で、むしろ私が休学中という事を忘れて話してくる人もいたりして。(笑)

ここはボディサイコセラピストになるためのスクールですが、まずはどんどん自分の事をワークします。

誰にも言えなかった事も、自分では思い出せない程小さい頃の傷も、生きる上での困難を一緒に分かち合った仲間とは、深いところでの共有があり、それは言葉にすれば愛というような、まあもっと自然な感じなんだけど、そんなものが流れています。

今回のスクールに参加しないので、グループ外という立場で遠慮がちな私に、「部屋があるから泊まって行けば良い」とか、「シェア聞いていったら」とか、「もう帰っちゃうの?」とか、「歌って!」とか、言ってくれるみんながいて、本当に嬉しかったです。

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これは、近くの長良橋から見た屋形船。
もっといい景色があったのに、いつも写真撮り忘れる私。(笑)




 

奥深くに

  • 2013.10.07 Monday
  • 07:32
通常人は起きてくる事に反応する表面的な感情で日常を送る。
(そうでない方々もたくさんおられますが)

頭がうるさく反応し続けると、外に原因を見つけようと躍起になるが、他人はいつだって自由になるはずも無いので、自分の内に入ってゆくことだ。

身体を使ってその奥にあるもっともっと深い真実に繋がると、頭では辿り着けない領域に入ってゆける。

これはボディサイコセラピーで学んだのだけれど、ある程度訓練すればできると思うが、向き不向きもある。

その人にとって興味が無ければやる必要も無いし、身体は過去の情報を貯めているので、何かがトリガーされて感情が起こるというのは今の自分でなく過去の再生、なのでそれを反芻する必要などあまりない。

無視して流せるならそうしておけばいいのだ。

それでも、あまりに感情がおさまらないなら、役に立つのは、この奥に辿り着く事だ。

自分の奥深くにある広大でどこまでも優しい愛に辿り着いた事があれば、自分の存在を卑下したりしなくなる。

これは身体が注意をひいてくれる。

感情が高ぶれば、こっていたり、痛かったり、なんか変な感じがする場所があったり、動きでそこへ繋がってゆく。

身体とはなんと賢いのだろう。

ただの労働の道具なんかではない。

英知に繋がることができる。


どう生きるか、何を大切にするか、なんていうのは個人の勝手で、何でも良い。

みんな一生懸命生きている。

その人なりのやり方がある。

魂はこうでなければならない、などという小さなものではないのだ。


体ごと

  • 2013.09.13 Friday
  • 20:50

アタッチメントスタイルという心理学の多くの学派で共通して支持されるものがあります。

これを研究したジョンボウルビィは、基本的な感情の一つは分離不安だと言っています。

人間は動物としての基本的な恐怖(分離不安)を持っていて、ボウルビィが見つけたのは、台風のとき子猫は恐くてお母さんにくっつきます。すると麻薬性のあるオピオイドというホルモンが出て落ち着きます。

繋がって落ち着いている時は愛に関わる安心のホルモンが出て、分離や引きこもりの時には怒りに関わるホルモンが出ます。


大人になった今、不安な時に体を寄せる人がいない事だってあります。

これはとても寂しい事だなと思います。

子猫が体をくっつけて安心するように、ひと時でも体から休まるという事があればどんなにか救われる事でしょう。

ボディサイコセラピーの学校では、さんざん人の体で慰められるという経験をしました。

感情が高ぶる場面を最体験し、体を使ってそこを通り抜けます。

抱きしめられたり、なでてもらったり、背中を支えてもらったり、取っ組み合ったり・・・。

海外の流派ですからグループ自体がハグは普通という雰囲気でした。

幼い頃に足りなかったその感覚を、後から得ました。


幼い頃の環境は大事だなと思いますが、選択肢の無い子供にとっては運命としか言いようが在りません。

困難な状況で生きる魂には、勇気を称える気持ちで一杯です。

そこを自らが通過する事で、周りを、世界を癒しているという壮大な選択だと感じます。

たとえご本人がそう思わないとしても、それが生まれてくる一つの大きな理由である気がします。

誰しも完璧な環境で生きる事などありません。

後から補ったり、理解したりしていくことで修正されます。


〜〜ブランケットで〜〜
マッサージでは肌と肌との触れ合いで安心のホルモン「オキシトシン」が出ます。

しかし、心理的な事柄をワークして抱きしめられるとか、受け止められる、というものとはまた違うレベルです。

アロマトリートメントやリラックスボディワークでは心理的ワークをしていません。

しかし、マッサージでで体が緩むと抑圧が少しはずれますので、感情が出る事が在ります。

そんなときは対応いたしますし、マッサージしなくても、悩みがあるときなどは、抱きしめて欲しい、手をつないで欲しい、と思うものではないでしょうか。

そんなときは是非、おっしゃっていただけましたら力になれます。


グラウンディング

  • 2013.08.29 Thursday
  • 08:10
私は普段アクセサリーを付ける事はめったにありません。

それでも、心のこもった頂き物はとても嬉しく、大切にしています。

数日前、このアクセサリーを手に取ることがあました。

ボディサイコセラピースクールの先生が手作りしてくれたものです。

「幸せになりなさいよ」そんなメッセージが勝手に浮かんできました。

私の癒しの過程を目にし、感じたままに作っていただいた本当に嬉しい贈り物。

先生はさっぱりしていて、大げさな慰めは決してしないだけに、深いあたたかさが伝わってきます。


そんな事を感じていたら、自分が今まで生きてくる間、たくさんの人に「無条件に愛された」という感覚が起こってきました。

表面的にはどうであれ、そんな記憶はちゃんと“体の奥深くに”流れているのだという体験でした。


奥深くにあることを感じられるようになるには、やはりグラウンディングが深まる事ではないかと観察します。

グラウンディングとは体と心がぴったり合って、そこにリラックスしていられる度合いとでも言いましょうか。

定義はいろいろありますけれど、自分が感じてぴったり来るのは今はこんな感じです。


辛い時を漠然と通りすぎずに、自分の奥深くへ入って行けるようになる事でもグラウンディングは深まり、それはギフトになります。


話しが流れてグラウンディングに来ましたが、これは練習でコツを掴み深める事ができます。


そして、一生かけて深まってゆく奥深いものだと思います。


ブランケット通信のコラムより

  • 2013.08.18 Sunday
  • 07:25
月に1〜2回、お客様にお送りしている「ブランケット通信」からのコラムです。
配信ご希望の方はお送りさせていただきます。
メールでご連絡下さい。
arabesque36-k@ezweb.ne.jp



マッサージにボディサイコセラピー的方法を用いるようになってから、突然深く落ちてゆかれるのをよく見かけます。首、頭に働きかける時にそうなる事が多いのですが、なるほどと思うのが、首の後ろに緊張は表れると言われているからです。

首が固定されていると体にロックがかかったようになり、全身のスムーズな流れが止まってしまいます。なので逆に首を緩めると全身が緩むとも言えます。そして頭と体が繋がります。

マッサージ中もあれこれ考え事が止まらないとリラックスできませんが、首を緩めてやると落ちてしまう。体と頭の流れがカットされているとき、思考は暴走します。

首を緩めて体と繋ぐという事、体を忘れないという事は、こんなことから大切なのです。体が緩む事で、内側に留まっていたエネルギーがスムーズに流れ出します。

終わってから感想をお聞きすると、「なんか、不思議な感覚でした」とおっしゃる方がとても多いです。私は外から見ているので何が起きているのか分かりませんが、皆さんの起きているのか寝ているのか分からない狭間で感じているというころがとてもよく似ています。

最後にお一人で休んでいただく時間では、この動いたエネルギーの中にある古いものを腸で消化させていると言われているボディサイコセラピーの中のバイオダイナミックスという派の考えかたで、統合の為のとても大切な時間です。これがなければ起きた事が台無しになると言ってもいいでしょう。

その古い物が何なのかを知る必要はなく、わざわざ辛い事を再体験する必要はない、というのがこの派の考え方です。バイオダイナミックスの創始者は女性で、とても優しく繊細なところがあります。

アロマトリートメントを受けているだけ、ボディワークでリラックスしているだけ、のつもりでも内側ではこんな事が起きています。


苦しみを抱きしめる

  • 2013.07.15 Monday
  • 09:09
いつも立ち寄る神社の横顔。


2年間、4つの学派のボディサイコセラピーを学んでいました。

私がこのボディサイコセラピーに興味を惹かれたのは、体から本当の自分がどう感じていたのかが分かるという経験をし、頭だけで理解するような心理学ではなかったからです。

それはガツンと心の中に、自分の中心に響きます。

「誰かすごい先生が、がなにかそれらしいことを言った、ああ、それならそうなのか・・・」そんなものではありません。

体の声を聴けるという事はとても大事な事だと思うのです。

日々起きてくる厄介な感情に対応する時、ひどいと思われる感情も全てを愛おしく自分の中で抱きしめてやります。

それは体で感じます。

肉体が感情を感じるからです。

なので、体の声を聴ける事、体全身を意識が密着するように感じられる事は大事だなと思うのです。

そうやって自分の苦しみや憎しみを全身全霊で抱きしめ離さない事で、その苦痛だった感情がだんだんと溶けてゆきます。

自分の愛が自分の苦痛を変容させるのです。

ここに他人は要りません。

つまり、依存は「だれかになんとかして欲しい」といって起きますが、そんな必要はなかったのです。

自分で自分の面倒が見られるという事です。

もちろん、セラピストが担うところだって必要だと思います。

私もどれだけ助けられたか。感謝でいっぱいですが、全てセラピストとやらなくても、自分で苦しみを変容させられるようになります。

過去をそれほど重要視しなくなります。


2013年上半期と体の記憶

  • 2013.06.24 Monday
  • 10:30


昨夜はスーパームーンだったのですね。

昨日は夕方から眠たくて、なんの用事もなかったので寝る事にしました。

途中何度か起きましたが、朝まで十分に休めて、満足しています。

月の影響だったのでしょう。


21日が夏至でしたし、まだ太陽も月も地球に近いですね。

今朝は雨上がりで空気もきれいですし、なにかが満ち満ちた新しい感じがします。


さあ、今週は6月の最終週。

2013年の上半期も終わりですね。

私の上半期は、どうにもならない辛さをくぐり抜けるという時期と、最高に楽しい事、嬉しい事がやってきてくれた事との、両極に振れました。

その、両方の出来事に感謝の気持ちが持てるのは、辛さという体験自体が単なる経験として、遠くから認識できるだけの時間を経た事と、降参するということを覚えたからでしょう。

渦中では恨みツラミをかなりやりました。(笑)

でもそれが必要でした。


体というものは、大変神秘的です。

急に何を言い出すかとお思いでしょうが、どうもこれを書くようです。

私たちは肉体を持った人間ですから、経験全てに体が関わります。

恐怖には体が震え、呼吸が止まり、胸を閉じて、肩が上がり・・・と言った具合です。

私が実際、非常に危機的な状況を懸念し、体が震えた時には怖くなり驚きました。

このとき、これは体が過去の恐怖を思い出していて反応しているだけで、今の瞬間は自分に危機は襲いかかっていない、ということを頭で知っていたことが役立ちました。

もしその事を知らなかったら、この震えと恐怖がまるで自分と一体であるかのように感じ、気がおかしくなることもあり得ると体験から思うのです。

これは、特にひどい状況での事ですが、日常でも小さな事はいくつも起こります。

まだなにも起こっていないのに「怖いな」と思ったとき、体は冷たく縮こまっていないでしょうか?呼吸が小さくなっていませんか?視野が狭くなっていないでしょうか?

これは体による過去の再生です。

こんな時は傍観者になって、ああ、体は過去を思い出してそうなっているんだな・・・と放っておけばたいてい消えて行きます。


何の事かと思う方もおいででしょうが、必要な方の目にとまり、活用されればいいなと思います。



泣くこと

  • 2013.04.15 Monday
  • 09:43
心は、なんとか平気でいようとする。

いろんな事、感じていたのに、大丈夫なふりをして。

そんなことが積み重なっていくと、ちょっとした優しい言葉や、気遣いに、

ふいに崩れる瞬間がある。

受け止められる感覚や、共感は、張りつめた心と体を溶かす。



そうして泣けると、突っ張っていた筋肉が解放される。

動物は緊張をぶるぶるっとやって度々解放している。

人間も事あるごとに、ぶるぶるっとやったり、

叫んだりして解放できればいいのだが、まあ、いろいろと都合がある。

感動の映画を見たり、本を読んだりする事でも良い。

だれでも泣いた後のスッキリ感は経験のとおり。

体に溜まった緊張が解放されるのだ。



横隔膜がひっくひっくと震え、胸が大きく上下し、

時には声も出るかもしれないし、叩きたくなったり、

動きがでるかもしれない。

体が動くにまかせ、ただ起こさせてやるといい。

そして少し休んで、自分に優しい時を十分にすごさせてあげてください。


愛の気づき

  • 2013.01.20 Sunday
  • 21:24
 
愛とは何か、頭では理解しているつもりでしたが、無意識の反応としては昔の思い込みが書き換えられていないという事を体験しましたので、その事を書いてみます。

ボディサイコセラピースクールでの実習場面。これはほんの2言の抜粋ですので内容はもっともっともっと濃いですが、そのなかの愛の定義についての気づきです。
( )内は私の反応(心の声)です。
先生「だいすき!」「I Love You!」
(気持ちは嬉しいけど、先生はずいぶん簡単に愛してるというのだな)
先生「人があなたを愛する事を許してくれる?愛させてくれる?」
(え〜、だれかれかまわず愛させるなんて怖い。)

愛する、愛される、愛させる、愛してる、愛してほしい・・・
これらをどう見るかは、自分の持っている“愛の定義”によって全く、全然、異なるのだとやっと分かった。

私がたまたま通りがかった道で、木に出会い、なんて素敵だろうと、胸が震え、涙がこみ上げ、木という物を越えた何かを見ている時、眺めたのはひとときでも、その中に木の最高、最善、完全を見ている。これが愛ではないか?これなら誰とでも愛し、愛されることが純粋な喜びとなる。木を愛したからといって、枯らさない責任がある訳ではない。
 
愛させてくれる?好きでいさせてくれる?というのは怖かった。
これも愛させるという定義が違っていた。
愛させる=自分を奪われると感じていた。
愛させるということは、木を眺める時に思ったような事を、他人が私に見る事を許すということか。それなら大歓迎だ。

愛とはこんなにも安全で、美しい。

誰かに愛されながらなら、愛する事を許すなら、なんだかもっとパワフルになれそうな気がする。そしてきっと人生がもっと豊かになるだろう。


優しさ

  • 2012.11.06 Tuesday
  • 19:51
 
セラピーの本質は、肯定的な優しさにあると思う。

いくら真実だからといって、押しつけや診断などは、全く逆に働いてしまうものだ。

北風と太陽というお話がある。北風と太陽がどちらがが旅人のマントを脱がすか競争するおはなしだ。北風がぴゅーぴゅー吹いてマントを脱がそうとすると、旅人はぎゅっと押さえて絶対に脱げないようにするけど、あたたかい太陽が照らせば、旅人は自らマントを脱ぐ。

あなた、こういう所がダメなのよ、もっとこうしなきゃ良くならないよ、なんて言われて、誰が気分よく自らの美しい本質に帰っていくだろう。

言った人を恨むならまだ良いが、自分に罪悪感を持ったりして傷をかえって深めかねない。

少しばかり知っていると、間違いを指摘したり、それを教えたりしたくなるものだが、それではただの自己満足で、相手のためにはならない。

要求されもしないのに与える事は、暴力になると言った先生がいた。

確かに、親切心でやってしまうけど、ありがた迷惑を感じた事もある。

そして、世の中のお母さんが子供にするように、信頼して待ってもらえると、ほっとする。

もちろん、正解なんて無い。

これが正しいなんて、言うつもりは無い。

ちょっとした方向付けや知識は、とてもためになる。

すごくひどい目にあって、花開く事もある。

それでも根本的には、愛されて、信頼されて、癒えてゆきたいと、私は思う。




















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